KESL

概要

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2002/02/03 若干、増補改訂
2004/10/17 微訂正      
本拠地
神奈川県横浜市内某所。閑静な住宅街を周りに従えたマンションの一角にある。騒音発生に気を遣うため、大規模な音響再生実験や大型工作物の加工には制約がある。なお研究員以外にも研究室内に自由に出入りしている人員が存在し(俗に言う家族)、機密漏洩や研究成果の遺失の発生の恐れがある。このため、研究員は、自己の研究成果が無断で廃棄されぬよう、整理整頓する必要があり、これが研究時間へ大きく食い込んでいる。なお同業他社への機密漏洩の可能性は全くない。機密を持ち込んでも向こうの方で受け入れてくれない。

なお、現在、専用の研究室はなく、他の用途の部屋との共用である。物品や資料・文献の置き場も狭く、また研究機材と成果物の置き場十分でない。研究機材等の設備投資の資金はあっても置き場がないとの理由により、研究室共同利用者の合意が得られない場合が多い。もしどうしても必要な機材がある場合、同等の大きさの物品、成果物もしくは機材、あるいは文献・資料など何でもかまわないが、設置容積を確保するため廃棄処分との引き替えとなっている。

なお、電脳空間としては、現時点にて某無料プロバイダを利用させていただいている。その見返りとして、各ページには広告の掲示が義務づけられていることを付記する。本研究所閲覧者は、敬意を持って広告も閲覧してほしい。・・・と希望を記載したが、2004年10月、都合により広告のない優良プロバイダ訂正訂正、有料プロバイダに、河岸を変更して現在に至る。広告エリアを抹消した。


所長略歴

1950年代初頭の生まれ。幼い頃より、各種のおもちゃを、買ってもらって日が浅いうちに分解し、中がどうなっているかを探求し、両親にあきれられていた。分解の都度、本人としては元に戻そうと努力したようだが、端から見ると分解する行為そのものが楽しくてしょうがないように見えたらしい。これなら当分壊されないだろうと、頑丈な自動車のおもちゃを買ってもらったときは、さすがに手こずったようだが、結果的にはその日のうちに内部の構造が明らかになっていた。これにはさすがに両親もあきらめ、分解癖についてはとやかく言わなくなったらしい。大きくなってから、何かといえば両親からそのころのことをおもしろおかしく聞かされた。長ずるにつれて、さすがにバージョンアップされて、分解の後の再組み立てまでは行うようになっていた。

手先は器用だったらしい。小学校の入学の際の試験というのか、公立小学校だから合格不合格を見るためではなく、新入学児童の様子をチェックするためだと思うが、その試験(?)で、紙に模様が描かれてあって、それをなぞってはさみで切るという科目があった。いつものように、チャッチャカチャッチャカ切っていくと、試験官に驚かれた。どうも他の受験者(?)に比べ、群を抜いて、正確で高速のはさみ使いだったらしい。今にして思えば、当時のはさみ使いのレベルは、普通の大人並み。あれからン10年経っているが、その試験の時の光景は今でも覚えている。子供心にも、驚かれた様子が印象深かったのだと思う。なおあえて付記すれば、現在でも相変わらず普通の大人並みのはさみ使いである。

さて、小学校に入った。夏休みの工作の宿題というイベントがある。しかし、どういうわけか、宿題と名が付けば、いかに好きな科目でもやりたくないものらしい。これぞ本領発揮!というような、夏休み工作宿題を提出した記憶がない。代わりに、自分の子供の夏休み工作の指導強化という形で、還元している。

日常の遊びの中では、紙を使って、飛行機、船などをよく作っていた。船は、図鑑などを参考にして、内部の構造も自分なりに工夫し、船室などもそれらしく作り、見えない部分まで作り込んだものだ。紙だから水に浮かべるところには至らなかったが。飛行機のほうは、とばすモノと、飾るモノと両方手がけた。どちらかというと、スタイルをある程度気にして立体的に作ったとばすモノ、というジャンルである。だから、スタイルも必ずしも忠実に再現したモノではなく、さりとてとばすモノのように機能美の美しさというのでもなく、中途半端なジャンルかも知れない。

実はこの飛ばす飛行機遊びは、大人になってもやまず、恥ずかしくもなく近所の小学校の校庭に行って遊び回るようなことまでやっていた。小さな子供でも一緒にいれば、何だって出来る\(^^)/。今は・・・その子供も大人になってきたので、向こうの方がいやがる。なんてこった。

なかなか電子技術との関わりにたどり着かない。少々話の時計を進めよう。

小学校高学年になると、何とか委員になる。児童会とか学習委員会といった類だ。放送委員会に入った。おそらく、既に電子技術に関わる下地は醸成されていたのだろう。交代で、昼休みの放送番組や、学校行事の時の放送装置の設置・操作などを行った。放送装置のアンプは6CA7のPPであった。と、いきなり電子技術の領域に入る。この、放送委員会の担当の先生から、電気の話し、電子の話、電波の話、等々、装置の扱い方の指導や雑談を通じて色々教わった。電波の話は大変興味を覚えた。なお、理科の教科の授業のなかでも電気関係の科目は既に入っているが、当然、その程度のレベルではクラスでダントツの知識力・・・であったハズ。証拠はないが。

実は、このころの時間的な順番は記憶の中に埋没し、定かではない。小学校のうちからそうなっていたか、中学校に入った後からそうなったか、よく覚えていないが、私の身辺に叔父が登場する。いや叔父はその前からいたのだが。彼は、趣味としてオーディオを扱っていた。職業的にも、多少ならず電子機械器具に関係あるものだったらしい。自作の真空管式のアンプ一式、レコードとレコードプレーヤー、巨大なスピーカーボックス、種種雑多な部品類や自作のための雑誌切り抜き資料などなど。こういった、部品類や工作物、膨大な資料は、かなりの部分、所長の手元にやってきた。これらはこの電子技術総合研究所開設に至る、趣味趣向の選択の範囲、職業選択の範囲と傾向に大いに影響している。

さて、その部品、工作物、資料をいただいた、その後の経歴については、また日をあらためて紹介することにする。

(各リンクへ続く)

なお、2004/10時点で、まだこの先の記述は作成していない。本職多忙のため。

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